Astemoはモータースポーツの健全な発展に寄与するため、国内最高峰の自動車レースのひとつであるSUPER GTに参戦するリアルレーシングをサポートしています。
1980年にレーシングカートでデビュー後、数々の国内選手権のステップアップを経て、国内最高峰カテゴリーであるフォーミュラ・ニッポンや全日本ツーリングカー選手権、SUPER GTへ長きに渡り参戦。2003年には日本人初のフルタイムドライバーとして、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)にフル参戦し、ヨーロッパでも高い評価を得る。
2003年に株式会社リアルを設立し、「REAL RACING」を率いて2007年よりSUPER GTとF3の2カテゴリーで参戦を開始する。自らもステアリングを握り、2007年から2008年までSUPER GTシリーズGT500クラスにフル参戦し、2009年に現役を引退した。
同2009年より、チームとして3つめのカテゴリーとなるフォーミュラ・ニッポン(現在はSUPER FORMULA)への参戦も開始し、レース活動の傍ら国内外のドライバーのマネージメントや幅広いプロモート活動も積極的に行っており、若手ドライバーの育成にも力を注いでいる。
2020年まで12年間にわたりパートナーとして共に戦った株式会社ケーヒンの経営統合に伴い、2021年よりAstemo株式会社がサポートし、『Astemo REAL RACING』として戦う。
1997年GKT長野シリーズSクラス、1998年東日本ジュニア選手権カデットクラス、1999年JAFジュニアカート選手権でチャンピオンを獲得し、2001年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞。 2004年に鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラを主席で卒業するとともに、F4西日本シリーズでチャンピオンを獲得する。 2005年にはフォーミュラ・ドリームで全戦ポール・トゥ・ウィンの快挙を果たした。
2006年からスカラシップを得て全日本F3選手権にフル参戦し、2008年は渡欧しユーロF3に参戦。2009年は戦いの場を国内へ移してSUPER GT、Formula NIPPON(現:SUPER FORMULA)へ参戦する。新人ながらも堂々たる走りでSUPER GTではシリーズを5位で終えた。
2010年はSUPER GTで初優勝と3位表彰台を飾り、FNでも初の表彰台獲得と目覚ましい成長を見せる。2013年にはSUPER GTシリーズランキング自身最高位2位と好成績を収め、 JAF GPでは優勝も飾った。
2024年は様々なトラブルに見舞われ結果が出せない苦しいシーズンとなったが、2025年はSUPER GTに参戦し《17年目》のアニバーサリーイヤーとなる。ルーキー小出峻選手と新たにタッグを組み、悲願のタイトル獲得を期待する。
小学校5年の時に初めてモータースポーツの世界に足を踏み入れる。2016年には全日本カート選手権FS125クラスで優勝を果たすなど着実にキャリアを積み上げた。2018年からは、フォーミュラカーレースへの道を歩み始め2019年にはSRS-Fスカラシップ候補生に選出される。2021年からはHonda Formula Dream Project(HFDP)よりFIA-F4選手権に参戦し、シリーズ6位を獲得。 翌2022年には同選手権でシリーズチャンピオンに輝く。2023年にはSUPER FORMULA LIGHTSにステップアップし、シリーズ3位の成績を収める。またSUPER GT GT300クラスにも参戦。
2024年にはSUPER FORMULA LIGHTSでシリーズチャンピオンを獲得、GT300クラスにも引き続き参戦。
2025年はAstemo REAL RACINGよりSUPER GT GT500クラスに初参戦。国内トップカテゴリーでの挑戦に挑む若き才能が、経験豊富な塚越広大選手と共にさらなる飛躍を期待する。
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